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「ゆとり」と叩かれているのはゆとり世代ではない?日本人の勤勉さにみる「ゆとり世代」の本質とは。

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どうも、酸っぱいオレンジです。

銭湯につかりながらこの記事を書いています


甘く黄色に焼けたケロリン桶の乾いた音が、濡れた残響を広げながら蒸発していくのを聞いて、僕は思いました。



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「最近の若者」及び「ゆとり」叩きうぜえ!!!!!


ことある毎にやれゆとりは~だのやれ最近の若者は~だの言ってるじゃないですか。


僕は二十歳で、ゆとりであり最近の若者で、つまり当事者であるわけです。


悟ってる場合じゃねえ、と僕は考えてみました。


しきりに叩かれる「最近の若者」の正体とはなにかを考えてみました。









銭湯につかりながら。



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さて、最近の若者の代表として、槍玉にあげられるゆとり世代とはなんなのか。


説明がめんどくさいからウィキぺディアを要約するよ

めんどくさいことはしないよ、ゆとりだもの。



詰め込み教育からの脱却、人間性の育成を目的として、大幅に削減された授業時間を履修した世代のことである、ようだ。
諸説あるが、1987年度生まれから2003年度生まれのことをいうみたい。
どのくらい授業時間が削減されたかってえと、大体1年で70時間ってとこだ。




「最近の若者」批判の構造は、いつだって中年と新しい世代の価値観の相違として昔からあるのだろうけども、この「ゆとり世代」という絶好のケロリン桶ができてしまったことによって、様々な批判がそこに投げ込まれていく。

たとえば
・コミュニケーション障害
・出世欲の欠如
・努力をしない
愛国心愛郷心の欠如
・打たれ弱い
・円周率は3
・老人を労らない

とか云々。


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ケロリン桶に罪はない




多分、多分というのは僕が他の世代を知らないから、多分その批判は本当にそうなんだと思う。



しかし、その原因がゆとり教育にあるのかは疑問が残る。

出世欲、愛国心愛郷心は学校で教えられるものではない。
また社会的性格の形成は学校生活に拠るかもしれないが、打たれ弱いなどの軸となる性格は家庭環境によるところが大きいからだ。








もしも、僕らゆとり世代が批判にさらされる理由がゆとり教育で無かったら、僕らはなぜこのような特徴を持ち、そしてため息をつかれているのだろうか?





















話は変わって、国民性という話をしようと思う。

ロシア人は暗く陰気な哲学を築き、ドイツ人は存在について考え、メキシコ人は太陽を見れば踊り出す。
幾分ステレオタイプ化されたものだろうけど、大体これが国民性だ。


ロシアとメキシコに関していえば、日照時間が関係してるだろう。
ドイツはよく分からん。ゆとりだもの。




そして日本人の国民性はというと、勤勉さだ。

なぜ日本人が勤勉さを得たか、というのは言葉を少なくして説明出来るものではない。
というかよく分からん。ゆとりだもの。



でも、代表的な理由をあげるなら、日本人は定住農耕民族であったことだ。



定住農耕民とは読んで字のごとく、一定の住居と農地を持ち暮らす人々のことだ。

そして、その住居と農地はご先祖様つまりイエから代々受け継がれてきたものであった。

そして柳田國男が看破したように、いつしか自身に命をもたらす田の神と、先祖の神の二つが結び付き、日本人は独特の宗教観を築くこととなった。

このように、司馬遼太郎の言葉を借りれば、日本人は大小様々な、つまりイエやムラなどの「公意識」を背負っていた。


そして、人々は皆そのイエやムラに恥じぬような行いをしてきた。



このような訳で、日本人が勤勉さを培ってきた。

これは間違いないだろう。















話をケロリン桶に戻そうと思う。



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戦後の個人主義の普及、昭和22年民法改正による家制度の崩壊により、都市部への大量の人口移動が起きた。




彼らは都市で文字通りの家を建て、子を産み、そして産まれた子が親元を離れて独立し、また子を産んだ。




最後に産まれた子供たちが僕らだ。そして、ちょうどゆとり教育にあたる世代でもある。


父親母親の世代は彼らの祖母祖父が先祖代々の定住地にあり、そこには神棚などの祖霊信仰を見ることができたはずだ。



僕らの世代の祖母祖父たちの世代は大量の人口移動の世代である。

つまり先祖代々の地から切り離されており、僕らがその地を踏むことはまず無いだろう。


そう考えると、僕らは、上記に挙げた日本人が勤勉さを培ってきた理由に当てはまらないのだ。



僕らの殆どが核家族であり、もちろん神棚など家にはない。


僕らはイエを持っていない。


僕らはイエを持っていないのだ。


この命題は僕らに重くのしかかる。





僕らはイエを持たないために祖霊信仰や愛国心愛郷心を持たず、イエを守ろうという気持ちからくる出世欲も努力も恋愛も持たず、ムラのような共同体を持たないためにコミュニケーション能力も持たず、代わりに得たものはスマホだけだ。

つい最近、NHK で恋愛できない若者たちというタイトルでドキュメンタリーをやっていたけど、その理由は不況でもましてやAKB でもなく、イエをもたないことにあるのだ。
だって僕、不況なんて知ったことないし、AKBなんてさびれたデパートのトイレに落ちてる縮れ毛ほども気にしたことがない。それなのに僕も結婚にたいして明確なビジョンなどない。

つまり、家制度崩壊以前の結婚というのは、イエを守るため=後継ぎを作るために当たり前に行われてきたのだけれど、イエ崩壊以後はイエを守るという意識が低いために結婚という慣例が当たり前じゃなくなったってわけだ。


日本という歴史には、家制度崩壊以前、以後という明確な区別がある。




円周率3っていうのは完全なデマゴギーだけどね。




つまり、「最近の若者は~」「ゆとりは~」批判における対象とは、家制度崩壊以後のイエをなくした世代を指しているのだ。








結局、イエをなくした世代にはスマホしかないってことが言いたい訳じゃない。


僕らはその分合理的になれるし、イエの制約から自由であるのだ。

つまりいかにも日本的で非合理的な伝統の呪縛から、僕らはすでに解き放たれている。


趣味は多様化し、サブカルチャーも活発だ。


僕が言うのも変だが、悪くない時代だと思う。



イエがない、という価値観が当たり前になるその時までは、僕らに家を失わせた張本人たちの小言を聞き流しておくことにしよう。


そしてその時が来たら、理想的な個人主義の到来である。





僕らは自由なゆとり世代です。




さてこれだけの話をして、そろそろお風呂からあがるとしますか。

髪はめんどくさいから乾かさない。だってゆとりだもの。